日記

小学生の頃たまたま見てしまったお母さんのB5ノートびっしりに書かれたあまりに辛すぎる日記を見てから、母親の辛そうな姿を意図して避けるようになった。わかりやすく遠回しに言う嫌味や愚痴に敏感になって、言われないように先まわりして終わらせるようになった。お母さんに言われて1番嫌だったのは「もっと辛い子もいるんだから、あなたは恵まれてるのだから」という呪いだった。母いわくそれは、だから大したことないでしょ、前向きになれるでしょ、ということだったらしいのだが(今聞くと)そんな受け取り方を出来なかった小学生の私は、辛いと言うのすら嫌になった。今でもまだうっすらと残る呪いが、刺さったままの小さな棘のように気味悪くあって居心地が悪い時がある。人の顔色を伺って穏便に過ごそうとするくせはこの位の時からな気がしなくもない。

それがどうとか、だから親が嫌いとかそういうことは全くなくて、私は母も、もちろん父も大好きだし、家族のことは大事に思っている。ただ、小さかった時の私が見た、母のあまりにもリアルすぎる真っ黒な日記は、未だに鮮烈に脳裏に焼き付いていて、時々なんでもない時に思い出しては身震いをするような、その程度の出来事を少しだけ私の内側から外側へ、出してみたくなっただけでした。

うつ病になってから世界の色は少なくなったけど、この1年くらい、光のような人がずっと隣にいるおかげでかなり色が増えた。もちろん少しずつ自分でも頑張ってたけどね。でも、本当に最近は色んな人に「変わりましたね」と言ってもらえて本当に嬉しい。

1年生の時、まだそんなじゃなかった頃、色んなことが希望に満ちていてやりたいことリストとか作ってたらしく、それを見たら笑っちゃった。語学の勉強(ありえないほど沢山あった)とか、資格取得とか、行きたいところとか、本当面白いほどいっぱい書いてあって、それが全部消えてたのかーと思ったら確かに全く違う人みたいだなーと思った。(他人事すぎる)

今はそんないっぱいないけど(普通に大人になったから現実とか見てるのもある)やりたいことがちらほら出てきて、復活!て感じが少しあって嬉しい。本をおすすめしてくれたり、一緒に映画に行こうっていってくれたり、一緒に散歩してくれたり、美術館に行こうって誘ってくれたりするのって本当にありがたい。こういうことの積み重ねなんだろうなーと思う。1人じゃ気乗りしないことも、やってみようかなって思えるから、人と何かするって本当に大事なのかもしれない(私は)。

別にこれって病気とか関係なくて、誰であっても、どんな状態であっても、一人の時間と人といる時間のバランスって上手く保っていかなきゃ行けないのだろうなって本当に強く思う。幸い、東京って色んなものがあるからなんでも出来ちゃって、お金と時間と、気持ちさえあればどんな事でも挑戦可能なのがありがたい。

恥ずかしいから変わったねと言われる時、「そうかな」と曖昧に答えてしまうけれど、本当はそばに居てくれる人のお陰なんだよねって思う。本も読めなくなっちゃって(文字の上を目が滑るだけで内容は何も入らない)からどんどんバカになっちゃって(もともと賢くもないからやばい!)文章もアホみたいなものしか生成できないのだけど、ゆっくりの時間の中で人とぶつかりながら強くでっかくなっていきたい

メモ2

急になんか全てどうでも良くなってしまう時がある。こういう時、まだどうしていいか分からない。

帰り道にある警察署に書いてある死亡、事故の件数を見て、また私の知らないところで人が亡くなったり傷ついたりしてるのかと思う。自分がそれにまだ当たっていないことが不思議なような気持ち。全ての事故や死亡者を知っている方がおかしいと思うけど。

自分の自信が全て削がれてしまう気がする時がある。誰が私の自信の根源になるか、誰が支柱か。私しかできないだろうね。強さ??

良くない人間から離れられない人に、本気で怒って縁を切るまで言える人ってすごいって急に思った。それだけの愛を人にぶつけられるって素敵だ。私にはその勇気って多分まだない。

なんか落ち込んでる時に、やさしい人はその苦しみの根源とか、理由とかを一緒に追い求めてくれるけど、そういう時の私って本当に天邪鬼だからただ大丈夫とかいう不確定な三文字を唱え続けて出来たら抱きしめてしばらく隣にいて欲しいだけだったりする。これをそのまま伝えたらいいと思うんだけど、それって個人を個人として扱ってない気がして、ただの人形みたいな、そういうのって良くないなと思ってごめんねって言ってしまう。ごめんって言うくらいなら辞めたらいいよね笑

ふつうがいいなーふつうにふつうの暮らし

 

 

思考分析1

街中で、小さいふわふわの犬を飼っていそうな家族だと思ったら本当に後から小さなふわふわの犬を連れた子供が来た時、わたしは超能力者なのかもしれないと、本当に思う。その数秒後にはそんなわけないかとその考えを捨ててしまうのだけど。でも、自分の予想が的中した時、本当に嬉しくて、だから早くそのささやかな幸せをまた感じたい。

髪を解いたときにふわっとシャンプーの匂いがするのが好き。その時にしか感じられない一瞬の香りってあまりにもちょっと、魅力的すぎる。

「死にたい」と言ってしまうことがある。

でも実際に死にたいと思ったことなんて多分ちゃんと思い返してみたら一回もないと思う。私の言う「死にたい」ってもっとカジュアルな、「(痛みも苦しみも感じずにパッと何もなかったかのように)死にたい」であって、どちらかと言えば「消えたい」なんだろうとわかっている。でも明確に違うのはみんなに覚えててほしいとか、ちょっとでもいいから悲しんでほしいみたいな傲慢な気持ちがあることだと思う。死なないとそれは叶わないから。死にたいなら死ねばいいが、それができない(もちろん様々な理由で)から生きている。まぁみんなそんなものかな。(別に病んでないしこれは決して苦しい文章ではない!)

ここ最近の自分の考えみたいなのを今度は忘れないように、なんならまた目を瞑ったりしちゃわないように書いておこうと思った。すぐに変わるけど。変わらないといいものと変わっていくことも含めて素敵なものがあるから、結果でいいなと思えたらそれはすごく嬉しい。

 

うつす

ジェームズ・ベニングの映画を見た。

写すことは不思議だと思った。文字も、映像も、写真も、その他全ての記録はすごい。口伝ではなく、ものとしての記録はすごい。特に五感で感じるような映像や匂い、音はすごい。私が普通に生活していたら見ることも知ることもなかったものをいとも簡単に見せてしまう。口伝や文字で伝えられるものは私の脳で解釈された想像の世界で、実際のものと寸分違わないと言うことは滅多にないと思うが、映像や画像、音は伝えたい物そのままだ。特に音声付きの映像ともなると私が生まれる前の映像、確実に見なければ知ることのなかった、見ることのできない景色を見ることができる。非常に不思議な感覚だった。なぜ私は見ることができるのか。写真が時を切り取る、と言うのもよくわかる。時間が切り取られる感覚が大変よくわかった。カメラというものが怖くなった。もちろん目の前で見ることと映像で見ることに大きな違いがあることは確かだが、どう頑張っても見ることのできない過去の状態を見ることができているというある意味での矛盾?のような状態が気持ち悪くて、それしか考えられない。

これじゃ何が言いたいのかわからないな 言葉にするのは難しい。とにかく、今のこの感情は今しかないのでとりあえずでもいいかな