缶詰の本

高校生の頃の私は典型的な落ちこぼれ問題児だった。遅刻するし授業はサボるし、成績は悪かった。それでも先生とはそこそこ仲が良く、先生も私をそれなりに可愛がってくれていた。特に保健室の先生とスクールカウンセラーの先生とは仲が良かった。そんな高校時代の、図書室での小さな出来事を今になって急に思い出した。

中高6年間図書室にはほとんど出入りしなかった。行ってもギネスブックを図書室の隅で開いて笑っていたことくらいしかなかった。でも、本を読むのが嫌いなわけではなかった。活字を追うのが苦手なだけで、本は好きだ。

放課後、図書室の閉まる15分前くらいに行って、先生に急に「小学生の時に読んだ本、もう一回読みたいんだけど題名が思い出せない」と言った。先生は「どんな本?」と聞いた。そんなこと聞くの珍しいね、とかこんなギリギリに…とかそんなことを言わずに話を進めてくれたことが嬉しかった。「あんまり覚えてないんだけど、猫が出てきて、人を缶詰にしようとしてるの」と少なすぎる情報を伝えた。表紙の色やデザインも、あらすじもほとんど覚えていなかった。これが全てだった。何度も読み直したくてネットで検索しても、人に聞いても無理だったことも伝えた。先生は少し困りながらこれかな?と2冊ほど持ってきてくれた気がする。私はわからないから読んでみる、と1冊を借りて帰った。返却期限を守れず2、3週間過ぎてから返しに行った。アホなのでその頃には本を探していたことを忘れていた。なので先生に「なんか面白い本ない?」と新しい本を見繕ってもらいに行っていた。先生は笑ってどんな本が読みたいのかを聞いてくれた。私はなんでも良かったので「難しくなくて、すらすら読める本」と答えていた。こんな困る返答をしても先生は何冊かまとめて持ってきてくれて、それぞれの本のあらすじを話してくれた。そして私は一冊借りて帰った。こんな調子で年に数回図書室に赴き本を借りた。先生は優しくて、本は面白かった。それまで遠すぎた私と本の距離はここで少しだけ近づいたのかもしれない。

結局今もまだ探していた本は見つからない。たまに思い出しては検索をかけてみたりするがやっぱり見つからない。いつかまた急に出会ったりしたらいい。私にとって本は、おもしろいものとかそういうこと以前に人との繋がりを思い出すものでもあるのかもしれない。ひとつひとつの本にそれぞれの思い出があった気がする。開いたら思い出すかもしれない。本は素敵だ。